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2009.01.17設置。 気になる情報を気の済むまで検索。物が捨てられない性格でインターネットのお気に入りが多くなりすぎてどれが必要な情報かわからないのでどうするかと考えてたらブログが流行りだしてやってみると簡単だけどネタがないので調べ物をするブログにしてみた。 注意事項。あくまでネットの情報なので。どんなに良さそうでも。実際はそうでもないことはあるから。
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名古屋城にある金の茶釜。
正式名称は、丸八文様鯱環付真形釜(まるはちもんようしゃちかんつきしんなりがま)。
茶釜には 環のところに小さな鯱がついており、側面には名古屋市の市章の「丸に八の字」の文様。

1945年5月の空襲で天守閣焼失、金シャチ(メス)の一部の金6.6キロ分が残った。
金は米軍に接収された後、67年に市に返還。
そして作りかえられた。
  1. 市旗の飾り(20分の1ミニ金シャチ、金メッキ)
  2. 金の茶釜(直径25.2cm、高さ22,3cmの22K製)
  3. 金の茶釜(銀製金メッキのレプリカ)
2は名古屋城に保管(展示されてない)。
3は名古屋城内二の丸茶亭で展示(金曜日はお茶に使われる)。



金シャチ作るときの材料になるらしい。(2013/01/13)


[ビ+] 【地域振興】旧名古屋城の金のシャチホコからつくられた金の茶釜を溶かして新たなシャチホコを--河村名古屋市長 [09/21] - ガイドミー!
http://news.guideme.jp/kiji/8c4ad4596c9809628a2c390982334889

「本物」の金シャチを名古屋観光の目玉に??。 河村たかし名古屋市長が、旧名古屋城の金のシャチホコに使われていた金を使って 新たな金シャチを作る構想を打ち出し、市役所内で物議を醸している。戦災で 焼け残った金シャチの一部は「金の茶釜」に姿を変えており、河村市長はこの茶釜を 溶かして金シャチを作る考えだ。だが実現には課題もあり、市幹部らは慎重な姿勢を 示している。 市によると、旧名古屋城は1612年にほぼ完成。天守閣の金シャチは徳川家の権力と 財力を象徴しており、2体で320キロの金が使われたという。太平洋戦争末期の 1945年5月の空襲で天守閣は焼失したが、金シャチ1体の一部の金6.6キロ分が 残った。 金は米軍に接収された後、67年に市に返還された。当時の市長らの判断で茶釜と 市旗の飾りに作り替えられ、イベント時に市民に公開されている。 一方、現在の名古屋城は59年に鉄筋コンクリート造りで再建され、金シャチも2体で 88キロの金を使って復元された。 河村市長は今年春以降「本物であることが重要」と城の創建当時の金を使った金シャチ 作りを発案した。茶釜を溶かして金を抽出し、別の金を組み合わせて金シャチ1体を 作るというアイデア。独立行政法人造幣局(大阪市)の試算では3億円かかるという。 作った金シャチは、市が2017年をめどに名古屋城前に設ける予定の飲食店街 「金シャチ横丁(よこちょう)」に置き、訪れる人が触れるようにして観光の目玉に する意向だ。




歴史秘話ヒストリア▽キツイ時ほどドハデにいこう!〜徳川家康・宗春 金ピカ名古屋 2012.10.17 » Mediacrit
http://o.x0.com/m/1162

昭和20年の 名古屋大空襲です。
戦後 焼け跡から見つかった金シャチの破片です。
出てきた破片から かき集めた金の量は 僅か6kg。
かつてのほどになっていました。
その一部を使って作られたのが金の茶釜です。
名古屋の宝として名古屋城の蔵の中に大切に しまわれています。
留め金の部分を よく見るとそこには あの金シャチの姿。
今も しっかり輝いていますね。




名古屋城 紹介サイト
http://www.museum.or.jp/nagoyajo/menu02.html

第二次世界大戦で完全に焼失したと思われた金鯱は、実は残骸が見つかっています。燃えがらとして残った金鯱は進駐軍に貴金属として接収されますが、昭和 42年(1967)3月、6.6キログラムの金塊として大蔵省から名古屋市に返還されました。市は初代金鯱へ寄せる市民の思いを考え、名古屋市旗の冠頭と してミニサイズの金鯱と、金の茶釜に加工することを決定したのです。ミニサイズの金鯱は実物の20分の1のサイズで、金メッキが施してあります。茶釜には 環のところに小さな鯱がついており、側面には名古屋市の市章の「丸に八の字」の文様が入っています。



名古屋城
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Torianon/meijou.htm

幸いだったのは地上に下ろされていたメスのウロコの金が燃え殻として残った事だ。発見されると米軍に一時撤収された。その後昭和42年(1967)に大蔵省から返還され、翌43年に一部が名古屋市旗の竿頭の飾り玉へ。残りは昭和45年(1970)金の茶釜2個に生れ変わった。





なぽのホームページ/名古屋城(愛知県)
http://napoleone.my.coocan.jp/Cyubu/Aichi/Nagoya/Nagoya.html



名古屋市:ご存じですか?八マーク(観光・イベント情報)
http://www.city.nagoya.jp/kankou/category/33-3-0-0-0-0-0-0-0-0.html



黄金の茶釜|blog.正雅堂
http://ameblo.jp/maurice/entry-10153280009.html


Paru's Diary 名古屋観光
http://paru1.blog133.fc2.com/blog-entry-597.html


名古屋城と盆栽 - geezenstacの森 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/geezenstac/52212007.html



新世紀・名古屋城博(2005):
貴重な金茶釜を展示へ/金シャチの生まれ変わり | 全国ニュース | 四国新聞社
http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20050307000316

 金シャチの生まれ変わりの茶釜は一つがほぼ純金で、もう一つは銀の金メッキ。1945年に空襲で焼け落ちたしゃちほこの金を溶かして作られた。二つとも普段は城内の収蔵庫にあり、市民の目に触れることは少ない貴重なものという。




愛知限定 歴史レポ - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/area19192003/archive/2007/03/21

昭和20年空襲により名古屋城天守閣は炎上し金鯱は北側の雄
が焼失、雌の方は天守閣の二階まで避難させてあった、その為
燃え殻が残ったが進駐軍に接収されてしまった、昭和42年
6,6kgの金塊として大蔵省から名古屋市に返還され、
名古屋市は名古屋市の市旗の金冠頭と、茶釜を造幣局により
直径25,2cm、高さ22,3cmの22K製で製作、同じく
銀製金メッキのレプリカも作られ、これは常時二の丸茶亭で
展示してあります。
以上、この項2005,3,19,新世紀・名古屋城博開催委員会発行
「よみがえる金鯱伝説」より一部引用


新世紀・名古屋城博 - 万博とモリコロとの一年 byニクモル
http://blog.goo.ne.jp/uisge_beatha_tk/e/f6032ff2242e995b86aafdc0231c2811


金シャチをしばきに行こう(笑) : あかぷく雑記帳
http://akapuku.exblog.jp/2050308/













 

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